いつものように、厨二病を炸裂させて考察を行っていこう。
今回は「たまたまYouTubeで北斗の拳の名言集を見た」というだけの理由で、核戦争後の人類の秩序に関する話だ。
前提
「PLAN A」という、核戦争が起きた際の核発射シミュレーション動画が存在する。
まずロシアが仕掛ける。
その後、ヨーロッパ諸国とロシア側が相互に核を打ち合う。
最終的にはアメリカが核の大量発射を行い、ロシア側は発射母体がやられることを危惧してか、着弾前にやり返している。
最後にはアメリカも壊滅的被害を受けることとなる。これはアメリカでシェルターが売れるわけだ。
動画の最後に9150万人の死傷者が出るという表示で動画は終わる。
なお、全員が亡くなるという風には書かれていない。
核戦争の打ち合いが起これば、たちまち地球文明は滅びると思っていたのだが、見たところ「一部が壊滅する」程度で済みそうにも思える。
確かに現実的に考えてみれば、核を発射する側のターゲットは「敵国」であり、「地球文明」ではないはずだ。
このあたりで前提をまとめてみよう。
銃社会であり壊滅的被害を受けて社会システムも崩壊するであろうアメリカを中心に、その後の世界秩序を考察する。
画像で見た限り核の被害で埋め尽くされていそうだが、生存者くらいは居るだろう。
「半減期」と距離減衰について
ちょっとでも放射性物質や核について調べていれば「半減期」という言葉は必ず目にすることになる。
実はこの話、調べれば調べるほど、怪しいのだ。
例えば、長崎に落とされた原子爆弾にはプルトニウム239が用いられていたようだが、プルトニウム239の半減期は約2.4万年らしい。
ここで、別のデータもある。長崎への原爆投下においては、爆心地から1.5kmも離れれば、放射線量は約80ぶんの1になったというものだ。
信じがたいものだが、少なくとも地球文明という点で見れば、核爆弾の爆発だけで人類絶滅ということにはならないと考えても良さそうである。
地下でやり過ごした後、「生存者キャンプ」を探す
放射線の被害から逃げるため、地下への避難を適切に行えた人は、核が落とされた場所の近郊であっても、生き残れる可能性がある。
そこが都合よく、長期滞在を想定したシェルターだとは思えないが、先ほどの半減期の概念から、せめて数日は滞在しておくことが良いようだ。
だが、食料も水も備蓄は尽きるし、精神だって限界になるリスクがある。
物資が亡くなれば、「飢えて死ぬか人から奪うか」の世界になっていくはずだ。
どんな核戦争や疫病の映画でも、アメリカには「生存者キャンプ」なるものが存在し、そこは運営者によって秩序や安全が保たれる傾向にある。
「数日間の避難・隠密生活の後、物資が尽きたタイミングで生存者キャンプを探す」というのが一般的な最適解となりそうだ。
東日本大震災における被災後の被害について
「最も怖いのは人間だ」という言葉の重みを感じざるを得ない話がある。
「言うことを聞かなければ、津波で亡くなったことにする」だとか「食料を渡さない」といった脅しが、東日本大震災発生後の東北で実際に行われていたようだ。
あの平和ボケに定評のある日本でも、実際に起きたのだ。
しかも警察が、「明らかな暴行、脅迫があったと認められない」と言う始末。
東日本大震災レベルの被害でも(なんなら平時でも)警察は機能しないということは、忘れないほうが良いだろう。
アメリカは銃社会であるから、平時であっても充分に物騒である。
あれ? 弱者にとって核戦争の有無とか関係ないやん…
汚染が少ない地域の苦悩
アメリカやロシアは「核爆弾を撃たれる」前提がここ数十年間に渡って続いてきた。
備えが無いわけではない。
しかし、核爆発の影響は世界中に及ぶことは言うまでもない。
私が持っている株だって機能しなくなるし、アマゾンでなにか頼めるとは思えないし、インターネットだって繋がるのだろうか?
繋がったところで、接続先のサービスは機能するのだろうか?
この期に及んでネットに繋がるのか気にしているアホは放っておいて、「その後の影響」についてシミュレーションが行われている。
異なる量の煤(すす)が大気中に放たれ、地球の平均温度が最低1℃〜最大16℃低下する。
(中略)
インド・パキスタン間の核戦争で500万トンの煤が発生した場合、世界全体の食物生産量は、戦後5年間で7%減少すると試算されました。
7%の減少ですと、戦後2年間で約2億5500万人が栄養不足で死亡し、全体では約20億人が食料確保が困難になると考えられます。
そして、最悪のシナリオである米ロの戦争であれば、戦後3〜4年間で、食物生産量が90%低下し、50億人が食糧難に陥ると推定されました。
https://nazology.net/archives/113465
最悪のシナリオの場合、食糧生産は90%低下とある。
苦難の数百年
日本でクルマ好きを毎年悩ませるのが「黄砂」だ。
ただの砂が、風に乗って中国から日本まで飛んでくる。
じゃあなぜ、放射性物質が風に乗って世界中を飛び回らないなどと言えるのだろうか。
食料の輸出入なんかまず無理だ。備蓄と自分たちの生産でなんとかするしかない。
また、放射性物質による食料と水、生活環境の汚染はおそらく避けられない。
私の残酷な予想をさせて頂く。
放射性物質の汚染により、平均寿命は大幅に低下し、多数の民が早くしてガンで亡くなる。
食料は絶対に足りていないため、おそらく人肉も喰らって、血液を濾過して飢えを凌ぐことになる。
イメージしただけで精神の健康が破壊されるレベルの食料汚染・環境ストレスの中で、なんとか「人類という種を繋ぐ」ため、長生きはできない中で、なんとか子供も産み育てる。(間引きの可能性あり。)
放射性物質の影響が収まるまで、数十年~数百年は掛かると予想する。
それまで、この地獄のループを繰り返して、なんとか生き延びるか、絶望して自ら命を断つか選ぶ。
こんなところだろう。生きるも死ぬも地獄の数百年が続くはずだ。
「北斗の拳」みたいにはなるのか?
さきほど「平時の日本ですら機能しているか怪しい」的なことを言ったが、おそらく「限られた範囲で行政サービスが行われる」はずだ。ここに警察や軍を含む。
その規模は事態が落ち着くにつれて広がり、最終的には都市の規模になっていくだろう。
しかし、その都市をひとたび抜ければ北斗の拳のような世界になってもおかしくない
あのような状況下で、人間がまともさを発揮できるとは思えない。
警察による治安維持機能と、自治体による食料や水・快適な住環境の確保が、平穏な社会形成に不可欠だ。
水・食糧生産・水産物や狩猟について
アラスカの自給自足ガチ勢の底力
実はアラスカの山奥で、自給自足で生きている変人が居る。
地形的に核爆発の影響なんか受けないし、その後の無秩序状態でも、こんなに寒い山岳部に入ってくる人なんか居ないだろう。
彼らは基礎的な能力が高く、獲物を確実に仕留めるため、銃の扱いにも長けている。
銃の事故による影響で、片手が無いのにも関わらず、これだけの実力を持つのだ。
彼らのような人々が出版したサバイバル術の本が、ヘタな聖書よりも聖書として扱われる可能性がある。
だったら面白いな。程度のノリで適当に書いただけであるが。
野生動物や自然の植物がどれだけ生き延びられるのか分からないが、「自分たちのぶんは自分たちで賄える」人々。それも、人が入ってこないような僻地で暮らしている人々は、弾薬や燃料などの補給は必要となるだろうが、ほぼ影響を受けないだろう。
鉱物・石油資源とマフィアの暗躍について
核爆発が起こったのに、石油なんか掘ってる場合ではないだろう。
当然ながら作業員は退避するだろうが、中途半端に将来のことを考える悪党が、将来の経済活動再開を見越して、この手の施設を占拠する可能性がある。
アメリカだったら「テロリストには屈しない」とか言って武力で排除しそうだが、脅威は無くならない。
例えば都市間で物資輸送を行うトラックは、普通にマフィアに襲撃される危険がある。
おそらく軍隊が護衛する必要がある。戦時中の補給線維持かよ。
生活インフラ復旧後の都市秩序
さきほど、「都市単位では行政サービスが復旧する」と言ったが、最終的には都市の中心部では割と普通の生活が送れるようになる可能性がある。
おそらく飲食店だって、映画館だって、お風呂だって病院だってあるだろう。
通信網が復旧・再稼働すれば、インターネットや電話だって使える可能性がある。
もちろん警察は存在するだろうから、治安は保たれるだろう。
食料供給の目処が立てば、配給制度は無くなり、働いたぶんが給料で支給されることもあり得る。
国家だか、自治グループ同志の同盟
立地条件や資源配置などで、多少の優劣が存在するはずだ。
相互に連絡を取り合い、物資や人員の融通を行うと予想される。
また、マフィアのような共同の敵に対して、武力行使を行うこともあるかもしれない。
まとめ
さきほどの「数百年の地獄」が本当にならないことを祈ってやまないが、意外となんとかなりそうだ。
というか、核戦争なんて起こらなくても、核戦争後のように不幸な目に遭っている人は、平時でもたくさん居るだろう。
いつも思うのだが、「中途半端に世界平和を語るのは偽善」なのではないかと思う。
消防隊員がコンビニで買い物をしたくらいでクレームを入れるような人が、8月15日に都合よく「人類が平和でありますように」とか言うのは理解が出来ない。
私が人間社会を見た限りでは、人類の平和なんてありえない。
そんなの上っ面の幻想でしか無いが、その幻想があるのと無いのとでは大違いだ。
「第四次世界大戦があるなら武器は石である」という言葉に感銘を受けながら、日々石を投げ合っている愚民どもという構図に真夏の草を生やしながら、庭の雑草を放置した報いを思い浮かべながら終わろう。