『マンスキー データ分析と意思決定理論』という本を読んだ。
「老後2000万円」のような具体的な数値による分析結果や、不確実性の高い幾つかのプランの選択手法について書かれている。
そもそも我々は情報に流されすぎだ。
感情を煽ったり、スパっと理解できるような形に作られた文言にすぐ流される。
もっともらしく書かれているそのデータは、「特定の都合の良い結果の証明を目的に、恣意的に集められて編集された」という中身を持ち合わせているのではないか。
…さて、この本ではワクチン摂取に関する2択が出てくる。
効くか分からないワクチンAとBがある。
片方が当たり、もう片方はハズレ。
当たりの場合は助かり、ハズレの場合は助からない。
こういう場合、どうすればよいのかという話だ。
- 全員にAを打つ
- 全員にBを打つ
- 半分にAを、半分にBを打つ
この三択から選ぶという前提で進める。
理論上はどれを選んでも生存確率は50%であるはずだ。
ここで例えば3番めの選択肢を取ったとする。
半分だけ助かり、もう半分は助からないわけだ。
このとき、「助からなかったヒトが不平等だ!!」と我々は考えてしまうのだ。
このことが『事後的に不平等である』と言われている。
ここで例えば、全員にだけAを打ってみよう。結果としてAがハズレだったら全員助からない。
しかし、全市民が同じワクチンを摂取できたため、これは『事後的に平等だ』と言えるらしい。
おかしな話であるが、どうやら我々の社会は、「事後的な平等」が実現される方の選択肢を取って来ているようである。
おもしろい視点だ。
人間心理というのは、無意識のうちに、「正しい」と思いながら間違える。
コメント